2016年6月24日金曜日

五色塚古墳へ


神戸芸工大での講義が終わって、次の日の午前中に一度行ってみたかった垂水市にある五色塚古墳(ごしきづかこふん)へ行ってきました。



ここは、天皇家ではなくこの地の豪族のお墓とされたため、全国でも珍しく復元された古墳なのです。そして頂上へ登れる古墳としても有名です。(普通、天皇家直轄の古墳は宮内庁が管轄しており、いまだに入ることも調査発掘もできないのです)



僕の見解としては豪族で前方後円墳はありえないと思っています。やはり、天皇家の血族だとは思います。この墓の主の子孫たちが本家の大和と対立し戦いに負けたため、日本書紀にも仲哀天皇の偽の墓とされ、その名は抹殺されたと睨んでいます。



ここの別名でもある千壺古墳は、ここから大量に出土した筒型の鰭付円筒埴輪からだと推測します。
この円筒埴輪が何のためにこのような形をしているかはわからないそうですが、

ずっと眺めていると火を焚くのに適しているように思えます。空気穴もありますし、上に何か鍋をのせてグツグツ煮るのにも適しています。

僕の私見では、これは海に向かって火を焚いたんだと思います。灯台的な役目もあったかもしれませんが、僕は、「送り火」と同じ文化だと思います。


大和が潰した国の前王の呪いが起こらないように霊魂を鎮めるための送り火だったんだ推測しました。

これが後々 京都の「大文字焼き」という送り火に繋がっていったとも推測できます。大の字も古墳の形っぽいし。




とにかく結界を作っていることと、火を焚くのに適した形、そのことからもこの円筒埴輪は鎮魂のために作られたものだと思います。その後の神社のしめ縄に通じるものだと思います。





上に登って見下ろすと淡路島も見え、明石海峡の美しい景色が眼前に広がります。

海もきれいで、海産物も豊富、山も切り立ってて美しい、古代人が好む風土が揃っています。


僕は都市があった西側に古墳は作られると考えますので、きっと垂水か須磨が古代都市の位置になると思います。(邪馬台国近畿説を押していた頃はここが投馬国(つまこく→すまこく)だと思っていました。今は九州説推しですが・・・)


しかし、なぜこのような丘の上にわざわざ大きな前方後円墳を作ったのか?疑問を抱えながら新幹線で帰路につきました。








深堀
Fukahori









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