名古屋から新幹線で東海道を東へ行って、30分くらい行った安城市あたりを走行中、田んぼの中に明らかに古墳らしき塚が見えた。
絶対あれは古墳だと確信して、帰宅してから調べてみるとやはり安城市にある
二子古墳という前方後円墳だった。
しかも周りには古墳群だらけ、まさに古墳銀座だ。
岡崎の西方に広がるこの一帯は何を表すのか?
僕は自論で、
古代人は都市の西側に古墳を作ると考えている。
つまり古代都市は、日登る東が「
神宮」で 真中が「
都」、そして日が沈む西が「
墳墓」という配置になっていると思う。ちなみに現代でも大正・昭和天皇の御陵は皇居から西の武蔵野にある。
<伊勢、宇佐、鹿島、神宮と呼ばれる神社は全て陸の東端にある。でも大社と呼ばれる神社は古墳と同じ西端にある。これは潰された国の王の呪いを恐れた鎮魂のためだと考える。>
そう考えると、古代都市は
岡崎中心部もしくはその周辺にあったと推測される。
岡崎は台地の上にあり、水戸や金沢の都市形成に似ている。
たいていの古墳の西側は海や湖や川になる。つまり
都市の西側の水場のキワに作られるということだ(自論)。
矢作川が東になっているが、僕は
古代矢作川は古墳の西にあったのではと仮定した。本当に古代矢作川が古墳の西ならば僕の自論は正解に近くなる。
<また、西に水場がない場合、どんつきの山の裾野に作られるが(宮﨑県西都市の古墳群など)、この中には後世に作られた可能性もあるように感じる。調べてみないとわからないが。ちなみに奈良・箸墓古墳は当時西側が大きな湖だったと私は推測する>
岡崎にはどんな古代都市があったのだろう?きっと尾張国に次ぐかなり大きな都市だったに違いない。
暴論を許していただけるなら
豊受け(豊明)の国だったかもしれない。
豊(台与)の王国だろうか?それはわからないけどね(^_^)
ちなみに僕が生まれ育った名古屋市瑞穂区豊岡という地区には同じように丘と古墳群がある。僕の小学校の校庭には珍しく円墳があった。銅鐸も出土している。
あの一帯も豊が作った王国だろうか?考えるだけでワクワクする。
この辺の話はまたいつの日か。
<追記> 岡崎の真東3キロほどに神明宮とヤマトタケルを祀る神社を発見。自論ではやはり東海道岡崎駅周辺に古代都市か?
東名高速沿いある神明宮。古墳もあるが、これをどう解釈するか。
その東南1kmほどにある大日尊神
隆介
Riusuke