美術館での初個展だった「平成しんちう屋」展が無事終了した。
巡回した地は、平塚市美術館(神奈川県)−刈谷市美術館(愛知県)− 宮﨑アートセンター(宮崎県)−佐野美術館(静岡県)−東根市まなびあテラス(山形県)
全5会場となった。
苦労したこと楽しかったことなど、本当に数え切れないほどあった展覧会だったし、僕のキャリアの中でも大きな経験となった。
------------------------------------------------
美術館という存在が、今まで感じてきたものとは大きく変わった。
自分が今まで個展してきた画廊やギャラリーなどは、作品が売れることに重点をおきがちになっていたが、美術館は、売り上げ関係なしのピュアな感性のみをぶつけることのできる唯一の空間・場だということがわかった。
脳裏に「若かった頃のように純粋な表現を追求せよ!」と何者かが僕を叱咤する。
売れなくてもいい、僕の作りたい作品だけを作りたい!展示したい!
しかし、なかなかギャラリーではこうはいかない。やはり、大人の事情があって、搬入費、人件費などギャラリー側が支払わなければならないため、売り上げがなければならない。
ギャラリーで展示している以上、作品は商品でもある。
でも僕は、これがいけないとは思わない。皆が素晴らしい!芸術だ!と言っているルネサンスなどの絵画は全てお金のために描かれたと言っても過言ではないし、画家が自分の内面を作品中に表現するようになったのは、近現代に入ってからだろう。今の“アーティスト”という概念は、きっとピカソ以降登場したものだろう。
昔の画家の方が「お仕事」として明確だったように思う。
しかし、しかしだ、作家というものは、皆、売るためだけに制作しているのではない。暮らしは大切だし、売れなきゃ一家が路頭に迷う。でも、真に追い求めるピュアな感性、内から湧き出てくるパッションを作品で表現したい。そう思うのが作家だろう。
そうやってできた作品を展示できる場が美術館であってほしい。
ともあれ、今の美術館という存在は、アーティストたちが自分たちのピュアな感性を表現する場として、そしてそれらを芸術として認め広める役目があるように思う。作家の援助も伴うと、なお素晴らしいのだが。
先頃のあいちトリエンナーレでの「少女像」の撤去や、文化庁による助成金差し止めなど、本当にやめてほしい。アーティストの意図などをちゃんと理解し、圧力を受けることなく展示できる空間が美術館であってほしい。
------------------------------------------------
最後に、平成しんちう屋展で各地を回って、本当に楽しかったです。その土地土地の美味しい郷土料理もご馳走になったし、いろんな人々に会えて、僕は本当に幸せでした。
まだまだ制作で悩んだり、戸惑ったりしていますが、これからも這いつくばってでも頑張りたいと思います。
来年も展示が色々詰まっています。ご期待ください。
深堀隆介
Riusuke Fukahori
0 件のコメント:
コメントを投稿