2018年8月18日土曜日
ヤノベケンジさんの作品への批判について
「福島−防護服着た子供像に批判」の記事
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081800118&g=soc
先週からこの記事が気になっていたので、私的見解を書きます。
あくまでも僕の個人的なものなので、何かに対する批判でも肯定でもありません。
この「サン・チャイルド」が設置された福島駅近くの教育施設こむこむ館には、以前ワークショップで僕も作品を納品したことがり、他人事ではありませんでした。
僕は、この像が批判を受ける対象になっていることに、ちょっと驚きました。確かに福島で実際に震災を体験した人々と、県外の人では、この像を見て感じる印象は全く違うと思いますが、そこまで批判される作品なのかと・・・
この像をもし震災後5年以内で設置したら、今以上に不快に思う人は多いと思います。というのも、僕はこの像の実物を東京で4、5年前に見ています。その時は、まだ「震災後まもない」という印象でした。でも東京という福島から遠い場所であったため見るに耐えられたと思います。もしあの時点の福島で展示したら作品としてまだ早く「痛い」ものになっていたと思います。
ですが、今こうしてこの像を設置できるということは、我々の中でも震災に対する意識の変化があることを気づかせてくれます。
ようやくこの作品が福島に設置できるまでなったことを物語っています。
また、胸のガイガーカウンターが「000」になるのはおかしいと、どこかの大学教授が批判したそうですが、はっきり言って、そのような馬鹿げたことに己の知識をひけらかすな!と言いたいです。
この場合、胸の数値が「001」とか、もしくは実際の線量計とかになっていたら、もっと批判が集中したと思う。作品を作る観点から見るとこの場合「000」しかありえないので、物理などではありえないかもしれないが、「000」が正解なのです。
現実をそのまま表現することが芸術ではなく、非現実を表現することが芸術だと思います。
物理の世界で間違っていることが芸術の世界では正解ということが多々あります。
また、作者のヤノベケンジさんは、20年以上前から有名な現代美術家で、この防護服も彼のトレードマーク的な作品で、もともとはこれの実物を着て、チェルノブイリに行ったり、太陽の塔に登ったりというパフォーマンス作品も制作してこられました。
その歴史も踏まえて考えると、チェルノブイリで起こったことが、現実に日本にも起こったことで、遠い国のロシアならこの防護服を着ていけるが、いざ自国となると被災地や被災者の方々の感情を考えて、なかなかできない現実にぶち当たったと思います。
このサン・チャイルドは、そんなヤノベさんが、あの(自分の象徴でもあった)防護服を脱いでいるということからも、ヤノベ作品として彼自身が挑戦したメッセージ性が強いものであると推察できます。
この作品が将来的に福島駅のランドマーク的存在になる日は来るのか?福島市民の皆さんの答えはyesかnoか? アンケートの結果を見守りたいと思います。
深堀隆介
Riusuke Fukahori
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