2018年4月7日土曜日

金魚電話ボックスで著作権のことを考えた。




このニュースで著作権について思ったことを書きます。(このニュースの内容は上記リンクサイトをご覧ください。)

撤去することになったこの金魚電話ボックス。著作権を訴えている現代芸術作家・山本伸樹さんは、僕は正しいと思っています。

記事のコメント欄では、彼を悪く言って叩く人が多いですが、皆さん勘違いしています。


まず、山本さんの電話ボックス作品は1998年に新宿のイベント(?)で発表されています(世間的には話題にこそならなかったが雑誌などに掲載されている)

で、この大和郡山の電話ボックスも、2011年ごろ京都造形芸術大学という芸術に関連している学生さんが先生の指導のもと作り、大阪のアートイベントで出品されています。(世間的に話題になった)

そういう事実があります。両方とも学術的立場から見て「芸術の分野」に登場しているわけで、学生が作ったからいいじゃんとはなりにくいと思います。


今まで大和郡山の観光スポットになっていたのに撤去されることは大変残念なのですが、その撤去されることになったのが山本さんのせいのように思われているのは誤りです。

山本さんも撤去を望んでいるのではなく、こちらが費用を出すので自分の作品に変えてくれと言っていたわけで(きっとかなり傷みが進んでいたためもあると推察)。でも山本さんの作品となると管理も責任も増えるし・・・「じぁ撤去で!」と商店街側が断ったのではないだろうかと推測します。 だって彼は、大和郡山にも、金魚にも、由縁のない人ですし。


確かに金魚電話ボックスのアイデアは山本さんが早かった。金魚部はたまたまカブってしまったのかもしれません。悪意はみなさん無かったと思います。



しかし芸術の世界では「誰が先に作ったのか、また考えついたのか」ということは大変重要なのです。

そんなこといいじゃん、オリジナルより話題になった方が勝ち、みたいに思っていませんか?


それは商業の世界ではありえますが、芸術の世界で価値がある作品とは最初にやった作品なのです。
芸術も学問です。美術史の観点から「誰が先に発表したか」がとても重要なのです。ただしちゃんとした公の機関(美術館やギャラリー、アートイベントなど)で発表したかも重要です。どこにも発表せず、作って持っていただけではダメです。


今まで全く存在しなかったものを世に生み出し、人々の知の領域をさらに広げた作品こそ賞賛されるべきなのです。絵がうまいとかカラフルだとか売れたとかではないのです。


何年も苦しみながら前例のないものを考案し、失敗を重ね試行錯誤してやっと完成した作品なのに、そのことは無視され、「共有」とか「シェア」という感覚で作風をすぐパクってしまう…僕は共有やシェアすることが全て「いいこと」みたいに思われている世の中はどうかと思います。

だから模倣した人は最初に生み出した人をちゃんと賞賛しなければなりません。


僕ら芸術家は、著作権でお金が欲しいわけではなく、芸術の歴史に名を刻みたいと思っています。最初に新しいことをやった人は確実に芸術史に刻まれます。いや刻まなければいけません。だから美術館があるんです。

美術館というものは歴史的観点から正当な評価を下し、そういった芸術家を守る役目もある機関だと信じています。

そうでないと”売れたもん勝ち!”では、先人の開拓者たちが救われないのです。





深堀隆介
Riusuke Fukahori

















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